【実録】コロナ禍の転職活動:episode0「即日退社をしてしまった」

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2019年6月17日(金)天気は晴れ。しかし、村長の心は今にも雨が降りそうな曇天でした。コロナ禍の状況の中、緊急事態宣言が解除されて徐々に感染者数が増えて来ていた頃。村長はある事を決めて出社しました。そう、退社意向を伝える事です。そして、ここから激動のコロナ禍の転職活動が始まる事となります。

 

退社意向を伝える

6月に入り社長からの精神的攻撃は強くなってきました。何かある度に村長は責められました。例えばどこかの物が一つ無くなっただけで村長の責任にされ、休みだろうが連絡が入り即対応しなくてはいけませんでした。

他の業務で社長からの質問に数分でも返事をしなかっただけで「返事も出来ないくらい忙しいんですか?」とか社内SNSで詰められていました。そういった日々が続き、6月16日(木)に本来、村長がするべきで無い業務に対して「死ぬ気でやってください」とか言われてついに村長の限界がきました。

もう無理だ!明日、辞める!

そう決めました。社会人として、退社意向を伝えるのは1ヵ月前などに基本的に直属の上司などに直接会って伝えるのが筋ではございます。しかし、死ぬ気でやれと言われた業務をする気は一切ありませんでしたので、本日限りで辞めるつもりでした。10時35分…定時開始から35分後。村長は社長に文面を送りました。

そう!社内SNSで退社意向を伝えました。

その内容は「本日を最終出勤日として、6月30日付けで退社するから残りの日数は欠勤と有給を使う」というやつです。社長からの返事はたったの一言で「わかりました」だけでした。

こんな辞め方をしたのは初めででしたし、こんな返答をされたのも初めてでした。当日現場にいた村長は誰にも最終出勤日だという事を言わずに1日を終えました。村長が辞める事を知っていたのは、社長とそのお付きのオバサマ。このオバサマも曲者でこの半年ほどで2人にパワハラをしていて辞めさせていた様な人でした。最悪なコンビでした。

 

最終出勤日を終える

可能な限り引継ぎを行いました。定時が終わり、帰る頃に近くにいたスタッフに対して「じゃあね」と伝えました。村長が最後に話した一言でした。当然、そのスタッフは村長が辞める事を知らないので普通に「お疲れ様です!」と返事をくれました。

これまで 5社経験してきましたが、こんな辞め方をするとは思ってもみませんでした。数分後には村長の個人連絡先を知っている人達が、辞めたのに気づいて連絡をくれました。「先に辞めてごめんね」そう返事をしてお別れをしました。彼や彼女達は今もおそらく働いているでしょう。年収を100万以上下げて入社した会社の終わりは、寂しいものでした。

そして、コロナ禍のなか無職になりました。

入社して1年少しで年収も100万以上下がっていたので貯蓄もありません。当然、即日退社をしてしまったので次の目途もついていません。そして世間はコロナ禍。求人数は激減し、それまでの売り手市場が一転、買い手市場になってしまっている状況で転職活動をしなくてはいけなくなりました。

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まとめ

村長は突然無職となりました。もちろん突然の事なので特別準備もしていませんでした。転職活動は在職中に行った方がいいのか?それとも退社してからの方がいいのか?普通に考えたら在職中の転職活動が望ましいです。

でも後悔はありません。あのまま我慢して続けていたら、どうなっていたかわかりません。もしかしたら、うつ病をわずらっていたかも知れません。 もちろん生活の事が心配ですが、それよりも自分の人生を考えると即座に今置かれている環境から脱出しなければいけないという思いが強かった。

こうして平凡な40代男性の激動のコロナ禍の転職活動が始まります。

 

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