父親との記憶

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父親が亡くなって三年か四年経ちました。思い返せば記憶にほとんど残っていません。彼は幸せだったのだろうか?

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幼少期の父親との記憶

村長は実家を出て20年近く経ちました。幼少期の父親との思い出は、1枚の写真しかありません。

村長がまだ小さい頃にきっとどこかに連れて行ってもらった時に撮られた、父親に手を繋いでもらって階段を降りようとしている1枚の写真。この写真の記憶ですらもしかしたら自分が作り出した記憶かも知れません。

幼少期に住んでた家での記憶はどこかに眠っています。野良犬に追いかけられて泣きながら逃げていた記憶。転んだ時に空きビンが手首に刺さって怪我をした記憶。父親が猟友会に入っていたので庭には猟犬がいたと思う。これくらいしか記憶にありません。

あの時の両親、兄姉と私の5人家族は幸せだったんだろうか。

小学生に入る前に、母親の祖父、祖母がいる実家に引っ越しました。父親が亡くなってから、叔母さんにその時の経緯を兄が聞いて、兄経由でその内容を聞きましたが詳しく覚えていませんが、本当は引っ越したくなかったんだろうなとその時に思いました。

 

学生の頃の父親との思い出

田舎の母方の実家に引っ越してきて、父親は2階の六畳ほどの部屋にいました。父親はガス配達を仕事にしていたからなのかは定かではありませんが帰ってくるのはいつも夜遅くでした。

お金をあまり家に入れていなかったのかが原因かはわかりませんが気づけば夫婦関係は冷えきっていました。ラップに包まれた冷えた父親のオカズが記憶に残っています。一皿、二皿とか犬のご飯みたいな父親に用意されたご飯。誰とも話さず、誰とも会わず自分の部屋で過ごす父親。

何であんな扱いをされていたのに一緒に住んでいたんだろう。

当然、面白くなかっただろうと思います。居心地の悪さは想像も出来ません。その後、両親が離婚したのは私が確か中学生になる頃だったと思います。

私が飼っていた金魚の水槽に突然入れられていた、おそらく蛙かメダカのタマゴ。父親が猟で持って帰ってきてた猪の肉。よくある鹿の首の剥製。父親に関係するであろう記憶はこれくらいしかありません。

 

若い頃の父親との記憶

離婚して父親が出ていきました。その後、私は高校を卒業し大学生になりました。記憶には残っていませんがきっとたまに父親と会っていたんだろうなと思います。

おそらく父親と最後に会ったのが私が高校生か大学生になった頃、父親が姉と私をご飯に連れて行ってくれた記憶です。仕事で使っているガス配達用のトラックに3人乗ってた記憶がなんとなくあります。

私の父親の姿はその頃で止まっていました。

父親は、母親は当然の事ですが兄とも上手くいっていませんでした。だから多分3人での食事だったんだろうなと思います。その時に写真を撮った記憶があります。

 

父親が亡くなるまでの父親との記憶

私は就職し3年後くらいに転勤があり母親の実家を出ました。それ移行、実家に帰ったのはほんの数回です。理由は兄姉と私の確執です。兄は自分の奥さんや母親に手を出したりする人でした。そういった兄に嫌悪感を抱いてしまったので自然と実家に帰る回数は減りました。

今から8年ほど前。私が転職するときにマンションの保証人の名前を書いてもらう時に父親から電話があった記憶があります。それが父親との最後の会話です。父親はこう言っていました。

お母さんが心配してるから月に一回は電話でもしてあげなさい。何かあったらお父さんにも電話してきていいから。

それから数年後、母親から父親が癌になり危ないと聞かされました。母親から父親は私に自分が癌になっていることは言わなくていいと言ってたけどと話してくれました。私は仕事の関係で遠い地にいたのでお見舞いに行くタイミングを図っていました。

結局、父親が生きている内に会うことは出来ませんでした。学生の頃に会って依頼、再会したのは思い出の姿から変わり果てた父親の姿でした。

 

父親の話し

父親の死後、父親が住んでいた、私が幼少の頃に住んでいた家の処理や手続きなど叔母が行ってくれました。

父親が住んでいた家の片付けで数十年ぶりに入った家は、大人になった私にすごく小さくて、床が剥がれていたり、ゴミや荷物が散乱していました。小さな庭には父親が飼っていたであろうメダカの水槽が所狭しと何個も外に置かれていました。

あぁ、お父さんは今もメダカを飼っていたんだな。好きだったんだろうな。

父親は六十半ばでこの世を去りました。彼には財産も無く、側で見送ってくれる新しい家族もいませんでした。

母親や兄は父親の事を嫌っていましたが、私は父親の事は好きな方でした。記憶にも残っていませんし、何年も会っていませんでしたが、いつの日かお酒を飲みながら話をしたいなとずっと思っていましたが、日々の仕事や、日々の暮らしのために、自分から誘うことなく永遠の別れを迎えました。叔母からこう聞きました。

昔に父親と姉、私でご飯を食べに行った時の何十年も前の写真を一番目立つ所に大事に飾っていたと。

寂しい限りです。私の中の彼の姿と、彼の中の私の姿はきっと同じだったんだろうなと思います。お互いが何十年の前の姿しか知らない。

 

人は無くした後にその価値に気づき後悔する

後悔しない人生を過ごすことは不可能に近いです。人は生きている間、絶えず選択をし続けています。

あの時、何で。

そういった想いはきっと生きている間は、ずっと続くでしょう。無くした後にしかその価値に気づかない。でも、私達は生きて行かなくてはいけません。

生きるのに目的を見いだしている人もいれば、そうで無い人も沢山います。自分がこの世から去る時に、辛くても「良かった」と思える瞬間が来ることを願います。

人は誰しも、いつこの世から去るかわかりません。私達に出きることは自分を守り、自分の大切なものを守ることだけだと思います。もし、今、何かで辛さを感じて生命を投げ出そうとしている人がいるのであれば、今すぐ自分を守る方法を取ってください。学校が辛いのであれば、仕事が辛いのであれば、関係が辛いのであれば、そこから逃げ出そう。

逃げた選択は、もしかしたらその瞬間は自分を責めるかも知れませんが、きっと後悔はしません。逃げて「良かった」なと思える日がすぐに来ます。

逃げることは、弱さでは無く勇気。

勇気を持てた自分に誇りを持って、これからも生きていきましょう。また、もし突然不慮の事故や事件、病気などで自分がこの世を去るかも知れません。抗えない事かも知れませんが、その瞬間にも備えて何かを残していきましょう。

 

以上、今は亡き父親へ捧げます。あっちでもお元気でお過ごしください。私も元気に過ごします。また機会があればお酒を飲みながらお話ししましょう。私、お酒飲めませんけど(笑) おたっしゃで!

 

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